Founder's Interview Vol.01

Resorz創業ストーリーインタビュー!

兒嶋さん

今回はResorz代表の兒嶋さんに、創業ストーリーをインタビューしました!なぜこの会社を立ち上げ、なぜ海外ビジネス支援のプラットフォームDigima~出島~が生まれたのか、苦労や転機となったエピソード等、案外今まで聞いたことがないことをたくさん質問攻めしてきました!

1章:起点 ― なぜResorzを始めたのか?

ーー兒嶋さんがResorzを始めた理由は、どんな課題意識や違和感からでしたか?

兒嶋:
大学卒業後に海外へ行き、60か国ぐらい訪れました。その経験を通して気づいたことがあります。どの国でも例えば宗教のように「人は何か信じているものがある」ということです。日本ではその信じるものというのはメディアではないかと考え、帰国後はADとして会社に在籍していたのですが、日本の会社に対して徐々に「会社の求める人になっていく」「型にはまっていく」ことに違和感を感じるようになりました。当時は特に、意見を言いづらい環境があったように思います。

違和感を感じていたのも、色々な国を訪れる中で180°考えが変わった経験をしたからだと思います。はじめは日本という国があまり好きではなく、訪れる国の人々を見て、自由で良いなとか、みんな自分らしくあって良いなと感じていたんです。でもそのうち段々と、日本の素晴らしさに逆に気づく瞬間も増えていきました。

例えば日本人は若者であってもアルバイトで稼いだお金で旅行に行けたり、日本のパスポートがあればどこにでも訪れることができる。これは先人たちが築いてきた他国への貢献や日本に対する信頼構築のおかげで、その恩恵を受けているのに日本を批判している自分こそがダサいのではないかと思い始めたんです。

日本の良さを再認識し、25歳の時に訪れたインドから帰る時にあることを1つ心に決めました。日本の良さを理解しつつ、日本に足りていない部分をもっと良い方向に変えていきたい、そんな風に思うようになりました。ただ、メディアから変えようと思いましたが、違和感を感じる中で、もう1つ日本で信じているものがあると気づきました。それが「会社」です。元々起業しようと思っていたわけではありませんでしたが、日本の古い慣習を壊して会社のあり方を変えよう、そんな思いから起業に至りました。

ーー「グローバル化を支援する」という発想は、どのような経験から生まれたのでしょうか?

兒嶋:
日本企業は確かに強い部分もありますが、グローバル化の遅れが目立っていました。海外の常識と日本の常識のギャップを感じ、変化が必要だと感じ、特に日本の閉じた考え方に対して、もっと外の世界を見てほしいと思っていました。

日本企業の海外進出支援を考えたのは、会社のサービスや在り方を考える中でオフショア開発.comというサービスを開発し、ベトナム展開の越境体験を積んだからです。実際に自ら海外でのビジネスを試みた際に、わからないことばかりで誰を信用していいかもわからない。公的機関は情報は提供してくれますが、どうしてもやはり個別に会社を支援するということはなかなか難しい。けれども、海外現地の様子を見ているとお隣の韓国や中国企業はトップ自らがきてその場で即決していく。

そんな状況を目の当たりにして、様々な常識や正解を知り、外から見ることで初めて分かる日本の課題がありました。個人としても、企業としてもグローバル化が必要だと強く感じ、それが現在の事業のスタートになりました。

ーー「Digima〜出島〜」という名前に込めた意味について教えてください。

兒嶋:
名前は相当悩みました。日本人の琴線に触れる名前が必要だと思い、日本の教科書を買ってみたりしたのですが、ある日お風呂に入っているときに「出島」という名前がふっと思い浮かび、やりたいことは「出島」だ!と思いました。

Digima~出島~は、長崎の「出島」と「Digital marketplace」をかけ合わせた造語でもあります。Digima~出島~というサービス名もその出島にあやかり、「日本企業がグローバル視点を持ち世界に羽ばたくことで日本を再度活性化する」「日本において世界に開かれたマーケットプレイスをつくる」「インターネットを介し現代の出島を創る」このような想いを込めています。

ーー創業当初、日本の海外進出に対してはどのように感じていましたか?

兒嶋:
創業当初は、時代的にもグローバル化が追いついていなかったこともあり、支援体制が十分でないと感じていました。でもその中で、少しずつ環境が整い、世の中が海外進出に対して積極的に動き出していることは感じていました。

2章:挑戦 ― 創業初期の壁と突破

ーー立ち上げ初期に最も苦しかったことは何でしたか?

兒嶋:
0から1を作り上げる過程は本当に苦しかったです。マーケットにはまだその必要性が十分に認識されていなかったので、海外ビジネス支援を行う企業にも、プラットフォームの価値を理解してもらうのが大変でした。時代が早すぎたこともあって、サービスに対しては批判的な意見が多かったですね。でも、諦めずにアイデアを出し続け、100本ノックをし続けて、ようやく信頼を得られるようになったんです。

ーーその中で最も印象に残っているエピソードはありますか?

兒嶋:
最も印象的だったのは、ある企業との最初のミーティングですね。最初は完全に無視されていました。私が提案したサービスについて、「すでにJETROがやってるから無理だと思うよ」「そのサービスは本当に必要なの?」といった感じで疑問視されました。その時は非常に落ち込みましたが、実際には好意的に応援してくださる方もいて、「ここで諦めたら終わりだ」と気づかされました。その後、何度も足を運び、アイデアを改善し続けて、最終的に取引を成立させることができたんです。この経験が、諦めずに続ける力を養いました。

ーー最初の頃に利用してくれた海外支援企業は、どのような企業だったでしょうか?

兒嶋:
最初は、海外に足を踏み入れた経験を持つ企業が利用してくれることが多かったです。というのも一度海外ビジネスを経験もしくは実施している企業は、単に利益を追求するのではなく、現地で感じた経験から日本を変えたいという共通の思いを持っていました。私たちが掲げている思いが共感を呼び、顧客が増えていきました。当時は現地にネットワークがあるという企業でも、実際に支援している実績が見えない怪しい企業もあり、現地での評判も参考にしながら時には利用いただかないと判断した企業もありました。

ーー一方で海外進出を検討する企業から獲得した初めての問合せはどのようなものでしたか?

兒嶋:
初めてのお問い合わせは、ある年配の方からだったと思います。正直、最初は驚きましたが、その方が言った「こういうサービスが欲しかった!」という言葉が、心に深く残っています。問い合わせがどんな形であれ、そこに対して真摯に応え続けることが大切だと今でも思っています。

ーー会社のチーム作りといった点ではどのような葛藤がありましたか?

兒嶋:
冒頭でも話したように「一般的な会社」は正直、あまり好きではありませんでした。「言われたことをやるだけ」「みんな同じ方向を向く」そういう組織像に強いアンチテーゼがありました。だから創業当初は、梁山泊みたいなイメージで、個性と実力を兼ね備えた人を集めたい と思っていました。調和や全体よりも、まずは"個"を優先する組織です。実際、仲は良かったし、ある程度の統制も取れていましたが、決定的に弱かったのが「教える」「育てる」ことです。いわゆる"10人の壁"にぶつかりました。いくつか問題も発生し、今思うと少し甘かった部分もあったと思います。

ーーそこからどのように変えましたか?

兒嶋:
当時は「自分が全部できている」と思っていたんです。現場に全部降りて、指示を出して、動かして。毎日ミーティング続きで、Resorz以外の企業も含めて3社分のマネジメントをしていました。でも、ある時はっきり限界を感じたんです。「これは、続かないな」と。そこで初めて、デリゲーション(権限移譲) を本気で考えるようになりました。「全部できるリーダー像」を捨てた瞬間でもあります。昔は「兒嶋さんが答えを持っている」ような空気があったと思います。でも、今は「一番わかっている人が決めればいい」と考えています。特にコロナ禍を経て、そのスタイルは大きく変わりました。今、組織づくりで大切にしているのは、「個性がありながら、調和がとれる状態」「自分で考えて決めること(自分事化)」「自分らしさと、組織のバランス」「人間らしく生きて、幸せであること」それを前提にした組織でありたいと思っています。

兒嶋さん

3章:転機 ― Digimaの成長と“自走組織”への進化

ーー「民間で海外ビジネス支援プラットフォームを作る」という考え方はどのようにして生まれたのでしょうか?

兒嶋:
最初から、民間として海外ビジネス支援をしていくという構想はありました。これまで政府主導の支援が多かった中で、民間で柔軟な支援を行うことで、日本企業が世界に挑戦する手助けをしたいと思っていました。特に、公的機関が提供できる支援には限界があり、私たちはもっと迅速で個別対応が可能なサービスを提供するべきだと考えていました。

ーーDigima~出島~が軌道に乗り始めた転機はどのタイミングだったのでしょうか?

兒嶋:
最初の転機は、株式会社船井総合研究所のレポートに掲載されたことですね。そこから信頼性が増し、次に中小企業白書に載ったことでさらに認知度が上がりました。この流れで、政府機関や自治体からの引き合いが増え、Digima〜出島〜の信頼性が確立しました。それからどんどん、Digima~出島~の名前が広まり、まるで波紋のように拡がっていったんです。

ーーその転機を迎えるまでに、どれほどの時間がかかりましたか?

兒嶋:
それまでには約5年かかりました。正直、5年間は苦しい時期の連続でしたが、その間に多くの学びがありました。特に、「信頼されるためには、まず自分たちが信じる価値を明確にする必要がある」と気づいたことが大きかったです。それからは、少しずつ信頼を積み上げていくことができました。

ーーその「信頼」を積み上げるために、どんな施策を行ったのでしょうか?

兒嶋:
一番大切だったのは、顧客の声をしっかり聞くことでした。最初は、私たちのサービスに対して懐疑的だった企業が多かったので、一つ一つのミーティングで「どうしたらお客様にとって価値があるか」を一緒に考え、改善を繰り返しました。また、現地のネットワークを大切にして、信頼できるパートナーシップを結ぶことも重要でした。その結果、少しずつ実績を積み重ねることができました。

ーーさらにDigima~出島~を広めるために行った施策として、特に効果があったものは何ですか?

兒嶋:
施策としては、各地の政府機関や自治体との協力が大きな役割を果たしました。特に、安倍元総理が「1万社の海外進出を目指す」と言ったタイミングで、私たちに直接連絡が来ました。それをきっかけに、中小企業庁や各自治体とのパートナーシップが進み、その後の展開に大きな影響を与えました。

4章:未来 ― Resorzが描く「日本のアップデート」

ーーこれからのResorzが実現したい未来について教えてください。

兒嶋:
サービスはまだまだ穴があると思っています。基本軸は「海外ビジネスに必要なありとあらゆるものを用意すること」です。それは、時代がどんなに変わっても変わらない部分です。これからも、AIテクノロジーやサービスの形を変えていく必要があります。しかし、私たちがやりたいのは単に利益を追求するのではなく、日本をもっと良い方向に変えることです。

ーー「1万社のグローバル企業をつくる」とは、どんな未来ですか?

兒嶋:
それは、日本企業が世界に対して堂々と挑戦する未来です。今、日本企業の多くは国内市場に依存していますが、海外に進出することで、さらに大きな成長を遂げることができると信じています。世界に通用する企業を育てることが、私たちの使命です。

ーー日本企業が世界で成功するために必要なことは何だと思いますか?

兒嶋:
成功するためには、まず「自分たちの強みを見つけ、それを最大限に活かすこと」が重要です。そして、それを世界に発信できる環境を整えることが必要です。特に、海外市場に進出する際は、現地の文化やニーズをしっかり理解し、柔軟に対応できることが求められます。

ーー最後に、現在最もワクワクしていることについて教えてください。

兒嶋:
最もワクワクしているのは、私たちが提供するサービスを通じて、実際に日本企業が海外ビジネスを進める手助けができていることです。特に、地方の中小企業がグローバルに挑戦する姿を見ると、非常に嬉しい気持ちになります。これからも、この流れを加速させていきたいと思っています。

会社としては、エネルギー溢れるメンバーがたくさんいます。どんどん権限移譲してメンバー一人ひとりが主人公となり、Resorzの顔として動いてもらいたい。これからのResorzをつくってかたちにしていってほしいと思っていますし、そんな未来にわくわくしています!

兒嶋さん

★Resorzでは新しい仲間を募集中!
↓Resorzメンバーと話をしてみたいという方はこちらから!

カジュアル面談はこちら